妻が建築関係の仕事なので・・


U様

京都市右京区  ★2012年9月完成

きっかけ

はじめは、家が欲しいという気持ちもあまりなく、家を建てるなんてことは考えていませんでした。 嫁さんは、建築関係の仕事をしていたので、いつでも「欲しい、欲しい」と言っていました。 嫁さんに連れられ、二条の住宅展示場や、完成見学会に行ってみましたが「こんな家に住みたいけど、高いし無理やな。」で終わっていました。 住暮楽の見学会に行っても「高いし無理やな。」は変わりませんでした。 しかし嫁さんにいろんな雑誌の狭小住宅の間取りや写真を見せられ続けるうちに、 「これくらいの家なら建てられるかな?」なんて思い始めました。 並行して、住暮楽の見学会には毎回行くようになり、「子ども部屋は3畳」などと、狭小の具体的イメージも持てるようになりました。 そんな中、「よし、では一体自分たちが建てたい家はどのくらいの価格で、そのためにはどのくらいを土地購入に使えるかを聞きに行こう!」 ということで、予てより誘われていた「住まい教室」に行ってみました。

「住まい教室」で

「住まい教室」では、はじめに、世界の住まいの写真をいくつか見せられました。ある国の一般的な普通の家を対象に、その家の家族と、家財が並べられた写真。 アフリカでは土の家に、大家族、家財は少ない。 熱帯地の家は、開放的な建物に家畜。 とか、アメリカは、大きな土地に大きな家、家財もいっぱい。北欧の国は、レンガづくりの家に家財は少なめですが、 家族それぞれが楽器を手にしており、アメリカとは違う豊かさを感じました。日本は・・。小さな家にあふれんばかりの物、物、物。写真を見た途端ふきだしてしまいました。 完全に豊かさの尺度が間違ってる・・・と。そんな日本も古来は機械も電気も無い時代に「いかに夏を涼しく過ごすか」という建て方が基本であったそうですが いつの間にか欧米と同じようにプライベート空間を優先し、気候との関わり合いを無視した建て方が普及して行ったとのこと。 結果、その土地や地域に相応しい家の建て方でなく、全国どこでも型にはまったものが並べられて・・ そこに物質に依存してきた経済体制の姿が見えた気がして、嫌になりました。 「夏は涼しく、冬はあたたかく」 を自然の力を生かして表現するというパッシブ(受動的)という考え方もいいなと思いました。 自然を切り離して、夏は冷房、冬は暖房というのは 私たちに似合わないと思うようになりました。


土地探し

いざ土地を探すとなると、よい土地は見つかりません。腹が立つのは、いいなと思う土地は全部建築条件付ということです。 条件のよくない小さい土地でも絶対いい家建ててやると思うようになりました。 その頃には、もう住暮楽で建てることしか頭にありませんでした。見つかった土地は、古家付きで売り出していました。 南側に縦にとおる通りがあり、 東側は隣のアパートの駐車場へ行く通路。南東には畑があり、OMソーラーをとり入れるには絶好でした。 難点は北側がJRの高架下で音が気になるということでした。 現地に行って耳を澄ましましたが、一瞬のことでよく分からないくらいだったので、思いきって決めました。

設計

いよいよ設計の時になりました。嫁さんは建築事務所勤務ですが、設計はしたことはありませんでしたが、真似事はよくしていましたし、 これまで自分たちで思い描いていたものも何となくあったので、この土地ならこんな感じかなぁと想像していました。 それでも高田さんがどんなのを持ってくるのかなぁと楽しみにしていました。 そうしたら打ち合わせの場で、部屋数など必要な間取りを聞き、その場でスラスラとこんなんでどうでしょうと描きだされました。 しかも、限られた述べ床で「そう来たか!」と思わせる要素もいくつかあり、これ以上にこの土地を有効に使ったものはないだろうなと思う間取りが 短時間でできてしまいました。 正直、もっと「ああでもない、こうでもない」と考えると思っていたので、物足りなさが残りましたが、狭小でもいい家になると思えました。

工事中

上棟が無事終わってからは、毎週のように日曜日に現場へ見に行きました。子供たちもはしごを登ってロフトに行ってみたり、 手摺もなにもない状態で落ちないかヒヤヒヤしながらでしたが、とても嬉しそうでした。大工の磯部さんと浜井さんがコツコツと仕上げてくれる造作工事はまるで魔法のようでした。

最後に

この小さい土地にこんな家が建つんだということを多くの人に見てもらいたいと思っています。どうぞ見学会に足を運んでみてください。

(すみくらつうしん 2012年8・9月号より、転載)