家づくりストーリー
住暮楽で家を建てられたお客様自身の文章を掲載しています。家づくりのヒントになれば幸いです。
画家のアトリエのある家
「えかきのあとりえ」
結婚に伴い、京都の地で自宅兼アトリエを建てたいと妻に相談してみたところ、あっさりと許可が降りた。幸いにも不動産と建築方面に知り合いがいたので早速「家を建てたいので土地をさがしてください」と依頼し、一月ほど経った頃、幼少の頃より「兄貴」としてお世話になっている住暮楽社長の岸本洋介氏と不動産屋からほぼ同時に同じ土地を紹介された。その土地は間口(幅)が少し狭かったものの生活するには非常に便利な立地で、地下鉄駅から多少距離があったが、現時点で妻が通勤に使用する北大路駅から最寄りの(予算内で収まるであろう)売り土地であった。消費税増税を控えたこの日本で土地を買うかどうかと躊躇している場合ではないことは私たち夫婦の共通認識であったが、個人が購入できる最も巨大でかつ高額な商業デザインを建てる為のものである以上、絶対に焦ってはいけないので審議に審議を重ねて契約に至った。その後、さっそく住暮楽に建築見積もりを依頼した。
家造り、とくに注文建築において「妻」という存在が「設計」におけるほとんど全ての決定権を持っているはずなのだが、小生の妻は家造りに関心があっても平面で説明されたものを頭で三次元的に組み立てることが苦手なため、設計におけるすべてのことを私に託してきた。そのような関係のもと、2018年11月24日に第一回目の設計打ち合わせが始まる。結婚式を挙げた次の日であった。(もちろん彼女の好みを十二分に取り入れつつ打ち合わせを進めたことを改めてここで記しておく。)
職業柄、無から何かを創造(想像、あるいは空想、妄想)するのは得意なので頭で考えた「絵」を意見、要望としてどんどんぶつけながら、(※予算がかかりそうなものは予め妻に頭を下げて許しを得た後)順調に家造りはスタートした。要望の中で特に重要な項目が二つあった。第一にロフトの必要性は一貫して皆無であること。これは飽くまで持論であるが、ロフトを物置にすると不必要なもので家があふれてしまうことと、他の階の天井高に犠牲が生じることにある。ただでさえ狭小地に建てる家にわざわざ圧迫感を設けることはない。結果、それぞれの階で天井が高めに設定された次第である。もちろん一階アトリエで大型の作品を描く機会もあるだろうと踏んでの要望であったと加筆しておく。第二に部屋の間仕切りは極力少なく。これも狭小地ならではの立地からくる風の通り道を阻害しない手段を考えたことを社長に依頼した結果実現したものである。余談になるが「おそらく」我々に子供はできないだろうと思ってこの設計にハンコを押したあとに妊娠が発覚した。
この原稿のタイトル第二案は「子供部屋のない子供のいる家」である。
「子供へ。自分の部屋が欲しければ早く大人になって自立しなさい。ここに子供部屋はありません。」父より。
そのほかの要望も一通り受け入れられ、2019年3月には着工に至った。しかしながら蓋を開けてみるとやはり家造りは一筋縄ではいかないことが多々あることに気づかされる。「耐火基準が厳しく定められた法令による材料の指定」に始まり、京都ならではの「狭小地による工事の進捗」などに一抹の不安を抱きながらも住暮楽の優秀な現場監督
山崎伊玖真氏によって工事は確実に進められた。
さて、家造りには実に様々な人が携わるものである。地盤改良に始まり、基礎、電気、水道、ガス、足場、大工、レッカー(クレーン)、断熱、板金、左官、塗装、タイル、建具、植木、家具、洗い、などの職人。それも「確かな腕の」職人たちがそろって初めて「良い家」というものができるのではないだろうか。なかでも建築の花形といえば大工であろう。
木造の家を建てる以上この「大工(さん、様、Sir)」無くしては絶対に完成はされない。もちろんほかの職人もまた然り、ではあるが特にその昔「番匠」とも言われた工事全体の長ともいうべき「大工」を紹介せずにこの原稿を閉じることは許されないと思っている。
大工・北條秀憲氏。北條氏の親方とその一派は、応仁の乱と第二次世界大戦を除いて1100年以上毎年続く祇園祭・後祭の南観音山を組み上げる「大工方」である。私はキリスト教の家系であるが、この歴史ある神事の最前線を担う人に家を建てていただいたことは非常に誇り高くかつ有難い縁であると感じている。実際、出来上がった家でその仕上がりをつぶさに見ていくと圧巻の一言であった。素人ながらにその腕の良さを体感でき、大きな感動と感謝をこの原稿を通して申し上げたい。
最後に、現在アトリエを設けている京北から街中への引っ越し、即ち北区・大宮ではじまる制作と暮らしがはたして作品と生活にどのような影響が出るのかは計り知れないが、まずはこの地に建てた「住むほどに暮らすほどに楽しくなる」我が家で新しい家族と生きていけることの感謝、そしてその家族の幸せを心から願う者である。
(すみくらつうしん2019年9月号より転載)